このページの最終更新:2010/10/24


KBブリッジの写真

崩落前に撮影したKBブリッジ
▲1996年9月の崩落前に撮影した写真(クリックで拡大)

 パラオ共和国には大きな橋があります。諸島で一番大きな街がある「コロール(Koror)島」と、 空港のある大きな「バベルダオブ(Babeldoab))島」との間を結ぶ「KBブリッジ」です。 初代の橋は1975〜77年に建設され、1996年7月に1年がかりの補修工事が終わったばかりだったの ですが、1996年9月26日夕方、数台の車を巻き込んで崩落してしまいました。

 橋はその後、日本の建設会社によって立て直され2002年1月に完成しましたが、私がパラオに 滞在していたのは、ちょうどこの橋の崩落の直前から、1年後の仮橋の開通を終わり、新橋の 工事準備に入る時期まででした。先日、書類を整理中に、その当時に撮影した写真がいくつか 出てきましたので、ここに紹介したいと思います。

新KBブリッジ(2003年2月撮影)
▲新KBブリッジ(2003年2月撮影)

 残念ながら、当時撮影したはずのネガはどこかに散逸し、残っていたプリントも長期の雑な保管 だいぶ傷んでいました。また、当時持っていたデジカメもごく低性能なもので解像度も低く、 残っているのはロクな写真ではありませんが、何かの参考になれば幸いです。

崩落したKBブリッジ1 記録が残っていないため詳細は不明ですが、橋の崩落から1ヶ月以内くらいの 時期のものです。アイライ側(バベルダオブ島側)からの撮影です。
この頃、代替交通手段として、橋の南側の両岸に臨時の船着場が整備され、 人はスピードボート、車は「はしけ」で海峡を渡す方法を取っていました。 また、コロール側の橋脚付近には十分な駐車スペースが無いため、少し離れた 広場に臨時の駐車場が作られ、コロール州政府が借り上げたマイクロバスが 駐車場と船着場との間で旅客のピストン輸送を行っていました。

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崩落したKBブリッジ2 アイライ側の橋脚付近をコロール側から撮影しました。橋の崩落に巻き込まれた 赤い車が引っくり返ったまま残されています。橋の崩落で2人が死亡し4人が負傷 しました。私は面識は無かったのですが、死者の一人は私が懇意にしていたホテル のオーナーの息子さんで、ご本人にはとても声をかけられない状況だったことを 憶えています。
橋のあった場所に垂れ下がっているのは臨時の電力&通信ケーブルです。コロール 側には貯水施設がなく、また大半の電力をアイライ側(アイミリーキ州内)にある 火力発電所で賄っていて、それらがすべてKBブリッジの内部を通っていました。 このため、橋の崩落と同時にコロールの市街は停電と断水に見舞われました。

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崩落したKBブリッジ3 コロール側からの撮影です。臨時の電力ケーブルは崩落の数日後には渡されたのですが、 送電能力不足のため地区ごとに1日あたり数時間程度しか供給されませんでした。
また水道については、この後に仮設の水道管が同様に渡されるまで完全に断水と なりました。異常気象で1週間ほどロクにスコールが降らなかったため、水の確保に ずいぶん苦労しとたことを憶えています。米軍が供給する海水を淡水化した飲料水の 配給を受けたり、洗濯物を抱えてアイライ側のコインランドリーまで出かけたり。

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車を渡すハシケ1 人の往来は、政府のシャトルバスとスピードボートと、ベニヤ板で仮設した船着場で 何とかなりましたが、貨物の運搬手段も必要です。そこで当時、現地の運送会社が 所有していた、離島や車では行けない僻地に大型の車両や機会を運搬するための ハシケが、緊急の車両運搬用に動員されました。写真はそのハシケです。


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車を渡すハシケ2 小さなハシケですから、一度に数台しか積載できません。そのため、利用できるのは 必要最小限の車両に限定され、暫くの間一般の車を渡す余裕はありませんでした。 このハシケがどんな名前で呼ばれていたのか、よく憶えていませんが、私も数回ほど 利用した記憶があります。
ちなみに、旧橋ができる前、両岸の橋脚付近は船着場でした。パラオの地形図を 見るとそこには Renrak と言う地名が。たぶん日本語の「連絡船」に由来する地名 なのでしょうね。

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援助の中古フェリー1 橋の崩落から1〜2ヶ月後だったと思いますが、フィリピンからの援助で中古の フェリーがパラオに到着し、橋の両岸に接岸可能な仮設の船着場が整備されると 同時に、海峡の車両輸送を開始しました。元は日本の瀬戸内海あたりで使われていた 船とのことで、あちこちにペンキに埋もれかかった日本語の表示がありました。
この船には「KB QUEEN」と言う名前が付けられました。貫通式でないため乗り降りに 時間はかかりますが、それでも小さなハシケ1台に比べれば輸送力は飛躍的に向上 し、一般の車も比較的スムーズに海峡を渡れるようになりました。

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援助の中古フェリー1 コロール側の仮設の岸壁に接岸しようとする KB QUEEN 号です。岸壁と言っても 浅瀬を浚渫した上で砂利を埋め立て、車両の乗り降りをギリギリ可能にしただけ でした。潮が引きすぎると接岸できず車両を渡せない時間帯があり、そのため KB QUEEN の就航後も、小さなハシケと共同運航になっていました。
これらの交通手段は、海峡を渡る利用者には無料で提供されました。運行にかかる 燃料や人件費は国とコロール州政府が負担したと聞いています。ただ、機材の 損耗に対する補償までは無かったようで、いくら非常事態宣言下とは言え、 ボランティア的協力を強いられる現地の会社は大変だったようです。

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スピードボートによる往来 ここから下は、デジカメの写真データです。おそらく1997年7月頃の写真です。 残念ながら元データの解像度が低いので、原寸のまま掲載します。

この写真はおそらく、コロール側のスピードボートの船着場です。当初はほんとに ありあわせの木材とベニヤ板で作られたバラックでしたが、橋の崩落から10ヶ月近く 過ぎたこの頃は、それなりにしっかりした浮き桟橋になっていました。
仮設の浮き橋1 仮設の浮き橋2
仮設の浮き橋3 橋の崩落から10ヶ月後の1997年7月に、日本の援助で作られた「浮き橋」が 交通の暫定的な復旧手段として開通しました。設計は日本、製造は中国だったと 聞いたことを記憶しています。旧橋の南側はフェリーの船着場になっていた ため、北側に設置されることになりました。この写真3枚は、浮き橋の係留工事が 終了した直後あたりのものです。
浮き橋は2本の大きな「箱」が接続された構造になっていました。中央の接続点は 下をボートが通行できるように高くしてあり、浮き橋が海峡を塞いでしまう事を 回避しています。また、ただ両岸から係留するだけでは、海流の強い海峡で 浮き橋を維持することはできないとかで、多数のアンカーが海底に埋められ、 それらによって支えられる構造だと記憶しています。
仮設の浮き橋4 浮き橋の供用開始は突然でした。数日後に開通式典をするって言ってたから それまでお預けか?、と思っていたら、周囲の噂話で「今夜から通れるらしい」 と聞こえてきたので、半信半疑で夕刻に橋まで言ったら、ゲートが開いていて 通行OKになっていたと言う次第。まあ、通行可能なら式典を待たずにさっさと開放 してくれた方が有難いのは確かですが。浮き橋の開通と同時に KB QUEEN は 運行終了となり、ハシケもマラカル港の運送会社に戻りました。
仮設の浮き橋開通記念式典1 仮設の浮き橋開通記念式典2
仮設の浮き橋開通記念式典5 仮設の浮き橋開通記念式典4
仮設の浮き橋開通記念式典5 この5枚の写真は、仮設の浮き橋の開通記念式典を撮影したものです。 橋のコロール側の広場を会場に開催されました。写真でスピーチをしているのは 当時のクニオ・ナカムラ大統領です。橋の中央をボートが通過しているシーンは 式典イベントのシナリオで、ボートが通過できる浮き橋であることを強調したシーン だったと記憶しています。
ちなみに青いテントにある文字「NECO」は、パラオの大手企業 NECO グループの 提供テントであることを示しています。

 この後、旧橋のかかっていた位置に新橋を建設すべく、旧橋の撤去工事が始まるのですが、 残念ながら私はその着工前、1998年5月で日本に戻ってしまい、その後の経過については詳しく 知りません。2003年に再訪した際は、非常に立派な橋がかかり、かつて仮橋や船着場があった広場は 公園に整備されていました。当時の面影は殆ど残っていませんね。
 この橋の崩落事故ですが、もし2時間遅ければ空港に向かう旅行会社のバスが橋を通過する 時間帯にあたって大惨事になっていたであろうこと、いや、1週間後には独立記念日の式典が 橋の公園で開催されカヌーレース観戦で橋に人が鈴なりに並ぶ予定で、国家的大災害になって いたであろうことの方が、いやいや何より、橋の崩落わずか1週間前に私自身がこの橋の中央付近に 何も知らずに立っていた事が、印象深く記憶に残っています。

仮橋のその後
▲2003年2月に撮影した仮橋。新橋近くの岸壁に係留されていた(クリックで拡大)

 なお、旧橋を建設した SOCIO と言う会社が韓国企業で、手抜き工事のために崩落したのでは ないかと言う記事をネット検索で見かけますが、そのあたりの事情については私は詳しく ありません。ただ、旧橋のたもとに英語とハングルが刻まれた建設記念碑があったことから して、橋の建設に韓国からの資金・技術援助があったことは確かだと思いますし、初めてパラオを 訪問した1995年4月、まだ橋が補修工事にかかる前の当時、橋の中央に不自然な段差があり、 車両が徐行していた事は記憶しています。
 ただし、橋の崩落の直接の原因は、1年間かけて行った補修工事そのものだと思います。確か 当時の新聞記事に、橋の道路面を1m近くかさ上げ舗装したと書いてあって、古い橋にそれだけ 重量が加われば折れるよな、と思った記憶が残っています。ちなみに、崩落当時のパラオ政府の 広報誌 TIA BELAU によると、1977年の旧橋の建設には 520 万ドル、1995年から1年かけて 行われた補修工事には 200 万ドルの費用がかかったそうです。

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