このページの最終更新:2010/10/24


 パラオに住む前の1995年〜1996年頃、旅行で何度もパラオに行きました。その当時に撮影した 写真から、いくつか紹介したいと思います。

コロール市街
コロール市の大通り
1995/1/30撮影【クリックで拡大表示】
コロール市の大通り
2003/2/16撮影【クリックで拡大表示】
コロール市街の大通りです。左が1995年撮影で、右はだいたい同じ場所を 2003年に再撮影しました。写っている範囲内では殆ど違いが無いように見えますが、 実際は8年間で周囲に大きなホテルが出来たりして、風景はかなり変わって いました。
コロール市の郵便局
郵便局 1995/1/31撮影【クリックで拡大表示】
コロール市の郵便局
郵便局 2003/2/16撮影【クリックで拡大表示】
パラオには郵便局は1つしかありません(おそらく今もそうだと思います)。米国 の信託統治の歴史から、ミクロネシアの郵便事業は米国の郵便会社 USPS が 行っており、パラオの郵便局にも USPS の郵便番号が割り当てられ、米国宛の手紙は 国内便扱いでした。また、郵便配達制度が無く、利用者は私書箱を契約し、自分宛 の手紙をここに取りに来るのが普通でした。
郵便システムはアメリカでも、独立国として切手は独自のものを発行しています ので、いいパラオ土産になります。記念切手などの在庫は少ないながらも、 郵便局では額面の金額で買えたので、平日の営業時間に行けさえすれば、 旅行者でも格安なお土産を買える穴場でした。
1995年の写真に写っている日本車の中古車は、タクシーとして使われているの ですが、自動車学校のロゴが残ったままですね。
コロール市の電話局
電話局 1995/1/31撮影【クリックで拡大表示】
コロール市の電話局
電話局 2003/2/16撮影【クリックで拡大表示】
電話局は国際電話をかける人で賑わっていました。パラオでは電話システムが 貧弱なこともあり、国内電話料金が月額固定制でしたので、他人の電話でも気軽に 拝借して使用できるのですが、反面うかつに他人に国際電話をかけられると 高額の請求が来て往生するため、自宅の電話で国際電話の発信契約をする人は 殆ど居ませんでした。
よって、1996年頃に暗証番号式のテレホンカード国際電話 サービスが開始されるまで、外国に電話をしたい場合はこの電話局まで出向いて 国際電話が発信可能な公衆電話に列を作る事が普通だったのです。21時を過ぎると 料金が割安になるので、その時間あたりはずいぶんと混雑していました。 それでも1分で $2 と、ずいぶんと高額な料金だったと記憶しています。
台湾政府の関連事務所
台湾関連事務所? 1995/1/31撮影【クリックで拡大表示】
1995年当時、パラオは台湾(中華民国)と国交を持ち観光客を受け入れつつ、 大陸の共産党政府とも協定を結んで中国人労働者を受け入れていました。 この建物の2階にあった「中華民国文化社会経済交流協会」は、撮影した当時は 台湾の大使館かと思ったのですが、実際は単なる民間組織だったようです。 隣には日本語で「パラオ国際福祉財団」の看板も出ていますね。
ちなみに中国語でパラオは「泉琉」と書くそうです。発音が「ポーリョウ」 だったと記憶しています。
マラカル島の船着場兼給油所
船着場兼給油所 1995/9/12撮影【クリックで拡大表示】
道路事情の悪いパラオではボートによる海上交通も主役で、国で唯一の都会で あるコロール市街には、このような船着場がいくつもあり、船外機の燃料を 給油するガソリンスタンドが併設されていました。写真はマラカル島にあった 船着場です。給油機はボート向けに長いホースを装備していました。
パラオでは燃料に特別な税金はかかっていませんが、運搬コストが高いため、 燃料の価格は日本と大差なく、また軽油よりガソリンが安いと言う、日本人 には不思議な状況がありました。
ホテル
ホテル 1995/1/31撮影【クリックで拡大表示】
ホテルと教会
ホテルと教会 1995/1/31撮影【クリックで拡大表示】
国会議事堂
国会議事堂 1997年9月頃撮影
パラオ旅行のパックツアーでは、通常は高級なリゾートホテルが使われますが、 ダイビング目的などの格安ツアーで使われるのは、市内にある格安なホテルです。 左上の写真はコロールの中心街にある PALAU HOTEL で、1階には日本で言えば コンビニに相当する雑貨店「アサヌマ・ストア」が入っていました。 右上の写真、左側の建物はキリスト教系の Seventh Day Advantest (SDA) の 教会ビルで、右は格安ホテルの WESTPLAZA DOWNTOWN です(1階は文具店)。
左の写真はパラオ市街の中心部にある国会議事堂で、現地では英語の "Congress"、 またはパラオ語の頭文字を取って "OEK" と呼ばれていました。小さな国ながら 州単位で議員を選出する「下院」と、国内の複数ブロック単位に人口比で議員を 選出する「上院」がありました。
南洋神社
南洋神社 1995/1/31撮影【クリックで拡大表示】
日本統治時代の遺構のひとつ、南洋神社跡です。個人の私有地内(邸宅の庭)の ため自由な立ち入りは制限されていました。
パラオの家庭料理
家庭料理 1996/1/19撮影【クリックで拡大表示】
最後に、現地でご馳走になる機会があったパラオの家庭料理を紹介します。戦後の 米信託統治時代の歴史の長いパラオですが、それに先立つ日本統治時代に、 日本人の殖民とともに多くの日本食文化が持ち込まれ、定着しています。 現地では日本米(カリフォルニア産)が好まれ、醤油も普通に使われています。
写真には醤油のボテルと、それに隠れるように現地魚の刺身があり、右には 稲荷寿司と巻き寿司、割り箸が写っていますね。オレンジ色のものはパパイヤ、 その手前にあるのはタピオカ芋を蒸したもの、最前列左はタロイモです。 最前列右のカニと一番左のチキンはアメリカ風、中央に立っているワサビの チューブの後ろは蒸し魚、その後ろはキャベツのスープです。


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