このページの最終更新:2010/10/31


 パラオに住む前の1995年〜1996年頃、旅行で何度もパラオに行きました。その当時に撮影した 写真から、いくつか紹介したいと思います。

バベルダオブ島
鉄塔跡
鉄塔跡 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
鉄塔跡
鉄塔跡 1997年9月頃撮影
鉄塔跡
鉄塔跡 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
鉄塔跡
鉄塔跡 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
パラオ諸島でもっとも大きな島が「バベルダオブ島」です。国際空港はこの島の 南端にあります。1996年当時、バベルダオブ島には整備された道路があまり無く、 舗装道路は空港と首都のあるコロール島の間にしか存在しませんでした。 バベルダオブ島のそれ以外の集落へは、赤土がむき出しの悪路を四輪駆動車で 行くか、もしくはボート等で海路を行くかの二択でした。
この写真は、南部から悪路を走り始めてすぐの場所にある、通信鉄塔の跡です。 グーグルマップではこちらになります。 現地では日本軍の通信施設跡だと聞かされ、確かに戦後の米軍建設のものとは 思えない状況でしたが、詳しくは判りません。現在、バベルダオブ島の道路は アメリカの援助で舗装されているそうですので、これらの遺跡が残っている のであれば、レンタカー等でも簡単に近づけると思います。
慰霊碑
慰霊碑 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
戦後に日本人が建設した慰霊碑です。グーグルマップではこちらになります。 この他にもパラオには、戦前にパラオに住んでいた人や戦没者の遺族、 各種の宗教団体や政治団体が建設した慰霊碑・記念碑が多数ありますが、 交通の便が良いコロール市街地やペリリュー島にあるもの以外は、1996年 当時、建設したは良いがその後は放置気味で、南国の旺盛な植物に埋もれそうに なっているのが目立ちました。
建設中の電線
建設中の電線 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
1996年当時のバベルダオブ島は、道路だけでなく電力網も未整備でした。 島の南西端に発電所はあっても、そこからの送電網が整備されていなかった ため、島の殆どの集落では、自家発電機を一日のうち何時間かだけ動かして 最低限の電力を賄っている状態でした。写真は、発電所からの電力を島に 行き渡らせるための電線と電柱を建設する工事業者の車です。この頃には 島の南側約 1/3 まで電柱の建設が進んでいました。
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1997年9月頃撮影
ガスパンの滝
ガスパンの滝 1997年9月頃撮影
ガスパンの滝と呼ばれている場所です。あまり自信が無いのですが、写真撮影 の順番と当時の記憶からして、グーグルマップではおそらくここだと思います。水量の多い河川を見慣れている日本人にとっては、あまり大した規模の滝には見えないかも 知れませんが、島の規模が小さなミクロネシアの島では、これだけ大きな滝が あることは珍しく、現地の人にとっても良い遊び場になっているようです。
ガラスマオの滝
ガラスマオの滝 1997年9月頃撮影
こちらは島北部にあるガラスマオの滝。名前は「メダライエア滝」と言うそう ですが、1997年当時にここに行くには四輪駆動車で朝出発して一日かがりの 大変な旅行でした。グーグルマップではここです。 車を降りてからも、途中に戦前の燐鉱山跡のトロッコ軌道の残骸を通ったり、 川の中を歩いて進んだりととても大変な場所でした。この近くのガラスマオの 集落には、当時の燐鉱山関連の施設跡や積み出し港の残骸が残っていました。
マルキヨクの入り口
マルキヨクの入り口 1997年9月頃撮影
マルキヨクの人面岩
マルキヨクの人面岩 1997年9月頃撮影
島の東部にあるマルキヨク州は、かつてパラオの覇権を争った2大酋長の 一方の根拠地でした。日本統治時代以前からパラオの中心として栄えたのは コロールの方なのですが、マルキヨクはパラオの憲法で「将来の首都」 と定められていて、最近政府施設が移転して「首都」になったと聞いています。 もっとも1997年当時は寒村でした。
この写真はそのマルキヨクの街中にあった「人面岩」と呼ばれていた岩です。 詳しい場所は良く覚えていませんが、たぶんグーグルマップではここだったのだと 思います。道端にひっそりありましたので、 道路が整備された現在ならもっと判りやすい状態になっているのではないかと 思います。
アルモノグイの港
アルモノグイの港 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
アルモノグイの港
アルモノグイの港 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
島の西部にあるアルモノグイ州の港にある漁協の建物です。グーグルマップ の写真は雲がかかってしまって判りづらいのですがここになります。 漁協の建物と、その左にある、漁獲の保存と出荷に必要な氷を作る製氷・冷蔵施設が 日本の援助で贈られたのだそうです。
旧日本軍の大砲
旧日本軍の大砲 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
旧日本軍の大砲
旧日本軍の大砲 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
飛行機の残骸
飛行機の残骸 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
飛行機の残骸
飛行機の残骸 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
缶詰工場の跡地
缶詰工場の跡地 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
バベルダオブ島は太平洋戦争の激戦地とはなりませんでしたが、それでも 戦跡がいくつか存在します。上の写真は旧日本軍が設置した大砲で、 アルモノグイの集落近くの丘の上にあります。バベルダオブ島は周囲を環礁に 囲まれていて大型船の侵入は困難なのですが、アルモノグイの近くに環礁の 大きな切れ目があり、大型船はそこから進入可能でした。そこを防衛する ための砲台だったようです。
その下の写真は戦争中の飛行機の残骸です。日本軍の攻撃機と聞きましたが 詳しくは判りません。その場所はかつて日本の缶詰工場があった場所だそうで、 左の写真はその跡地です。錆びてしまった缶詰の容器らしいものが大量に 地面に散乱していました。
水田の跡
水田の跡 1996/1/15撮影【クリックで拡大表示】
この写真は、真偽は定かではないのですが、日本統治時代に日本人入植者が 開いた水田の跡だと聞きました。今となっては場所もよく判らないのですが、 缶詰工場の近くの道路沿いだと記憶しています。
確かに、周囲の地形からすると不自然に 存在する平地で、しかも棚田のように段が作られていました。戦後のアメリカ 統治下では、農業振興策のようなものは採られず、農業と呼べるものは近年に 日本人などの実験農場が開設されるまで存在しなかったそうですので、 本当のことなのかも知れないと思っています。


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